ウェッジウッド インディア【英国製】 コーヒーカップ&ソーサー キャン C/S [7860660]

ウェッジウッド インディア【英国製】 コーヒーカップ&ソーサー キャン C/S [7860660]

販売価格: 12,150(税込)

在庫数 3枚

商品詳細


アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
完全英国製 MADE IN ENGLAND ロゴ
インドネシアで キャンは作られておりません。
手の込んだ良いものを 少し 手工芸品
原点回帰運動から生まれた 豪華な佳作。
ヨーロッパ伝統の 「インドの花」を ぼかしサフラン地に 際立たせ 黒地華帯で引き締め 少し欧風香る このヒット作に インディアと 銘銘しています。
日本で人気なのは やはり 東洋人の琴線に 触れるからでしょうか?


サイズ:カップ直径6.5cm高さ7cmソーサー直径14cm
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
完全英国製 MADE IN ENGLAND ロゴ
インドネシアで キャンは作られておりません。
手の込んだ良いものを 少し 手工芸品
原点回帰運動から生まれた 豪華な佳作。
ヨーロッパ伝統の 「インドの花」を ぼかしサフラン地に 際立たせ 黒地華帯で引き締め 少し欧風香る このヒット作に インディアと 銘銘しています。
日本で人気なのは やはり 東洋人の琴線に 触れるからでしょうか?
キャンC/Sの出自は セーブルにあります。
中世 お姫様たちの間で ホットチョコを飲むのが 流行ましたまるで ホットチョコを飲まないと お姫様で無いかのように。そのホットチョコ用に セーブルで作られたのが キャンC/Sです。
ルイ15世の王太子妃マリア・テレサ(スペイン王室の姫。2番目の王太子妃が かのアウグスト強襲王の 孫娘マリアヨゼファ磁器王女)をして「王とチョコレートは わらわの ただ二つの情熱」と言わしめたように 中世ヨーロッパにおいて ホットチョコは 上流階級用の 高級飲料とされておりました。片やオスマントルコ伝来のコーヒーは オーストリアのウィンナーコーヒーとして 花開くのですが 巷間 カフェが 繁盛しましたように どちらかと いうと 一般大衆用のものとされておりました。
ウェッジウッドは ヨーロッパ中を捲き込んだ 7年戦争真っ只中の 1759年 バースレムの地に ジョサイアによって 生み出されました。
ジョサイアは 製陶を生業とする ウェッジウッド家の 第13子として 1730年に誕生しましたが 11歳の少年の頃 天然痘にかかり 右足が不自由になり 1768年には 悪化した右足膝下を 切断しております。
しかし 強い意志の彼は このハンディを ものともせず 倦まず弛まず 天分に磨きをかけ 後に「英国陶工の父」と尊称される程の人物になりました。
1769年 古典芸術に造詣の深い パートナー・ベントリーと スタッフォードの地に エトルリア(古代美術の栄えた イタリアの都市名)工場開設。
ジョサイアの 古典芸術に対する憧憬と その復刻に燃える情熱から 命名されました。この年 この地で行われていた 無釉黒色せっ器を改良して ブラックバサルトを完成。ジャスパーウェアの魁です。
リバプール港への 運河を開鑿した事も有名です。彼の進取の気性は 女王御用達陶工でありながら 反するアメリカ独立戦争・奴隷解放運動への 大口基金寄贈者であった事からも 見て取れます。
1785年 王立協会員・初代ジョサイアは 栄光と賞賛の中 惜しまれながら この世を去りました。
彼の天分は 息子ジョサイア2世に受け継がれ 脈々と生き続けました。エトルリア工場は 1950年 現在のバーラストン工場(ストーク・オン・トレント)に 180年の長き伝統を引き継ぐまで 繁栄を続けました。
ボーンチャイナ
英国では 磁土(カオリン)の産出がなく 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いくつかの窯で 細々と試みられていました。
一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤の後 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。
1795年頃 この軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。さらに1819年現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で フェルスパー・ポースレーンの開発競争の中 この時代を リードしたのが 又 逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・スポード二世でした。英国ボーンチャイナ確立
クィーンズウェアに続く ジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(1780年 ブリストル硬質磁器窯の 買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと 大幅に遅れることに なりました。
しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず 1828年には 取りやめました。今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再チャレンジは 1878年の遅きになりました。
やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイルドストロベリー(初代 ジョサイア・ウェッジウッドが残した 8冊 約10000点の パターンブック 初版1769年頃 再版1810年 から 1806年に発表された ワイルドストロベリー。現在のパターンは 1965年発売)を始 多くのヒット作の 中核的素材となる 美しいファインボーンチャイナを 完成させました。
余談になりますが ウェッジウッド家の 科学研究的優秀さは 中世最高の科学者「進化論」のダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアの娘スザンナの子が チャールズ・ ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)でも有名で 世に喧伝されました。

ウェッジウッド インディア【英国製】 コーヒーカップ&ソーサー キャン C/S



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